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子どもたちの面倒を見る理由 [育児]

もうすぐ育児は終わる、と言いながらまだまだどっぷりと時間を使っています。

他のお父さんたちに比べるとかなり時間を使っているし、学校行事にもたくさん行ったし、部活の応援にも行った。部活の応援なんて試合に出ている8人のうち3人の父しか毎試合は来てませんでした。最後の大会にはいつも来ない父も2人来たものの、結局一度も来なかったお父さんもいます。夏休みの宿題を手伝うために予定を入れないとかやりましたが、なんでこんなに私が育児に時間をかけているのか、なぜこんなに優先順位を高く考えているのか、を考えてみました。

私の両親はごく普通のサラリーマンと専業主婦でした。父はいつも深夜に帰ってくる昭和のサラリーマンでした。週末も自分の趣味のテニスを優先し、小学校に上がってから父と盆正月以外に遊んでもらった記憶は余りありません。母は子どもの希望を優先する主義で、三人兄弟全員がぐいぐい行くタイプではなかったこともあり、習い事も続かず辞めてしまったりと、放任されていたように思います。私は中学になっても高校になっても自分が興味を持てる好きなことだけをやっていました。運動は苦手で脚も遅かったので中学校では部活に入らず、高校では周囲との差が大きすぎてとても入る気になれずでした。結果、一人で過ごす時間が多かったなと感じています。結果、特技のない勉強も普通でさほど友達も多くない凡庸な人間になってしまったなと思っています。過去にも書きましたが、特技を持っている人はたくさんいます。ピアノを弾ける男、習字が上手い女子、そろばん経験があって暗算がやたら早い女子…スポーツもそうですね。また、勉強がすごくできるのも同じ。特技があると所属するコミュニティが増えて友達が増えるように思います。

自身が大人になり特技のある友達に聞くと、特技にはたいてい親の強いサポートがあったことを知りました。長女、次女の友達にも親がすごくサポートしている子がいます。近所の公園に朝練に行くと必ず何かの朝練をしている親子がいます。

これを知ってから子供の人生を豊かにするのは親がどれだけ子供に関わるかだと強く思うようになりました。

こう思い、実際に長女の育児に関わっていく中で、これから自分の趣味を伸ばしても大したレベルにはならないし、暇つぶしにしかならないのに、自分の趣味に時間を割くよりも子供に関わって子どもの人生を豊かにした方が自分の人生の満足度が上がるんじゃないかと考えるようになりました。

また、父は昭和のサラリーマンでものすごい時間を会社に捧げていましたが、役員までは行けず、子会社の役員で終わりました。退職してからは会社の人とはつるむことはなく、趣味のつながりと会社員時代に通っていた飲み屋のつながりで遊んでいました。79で亡くなりましたが、退職から長年経っていたこともあり、喪主の母も連絡先を知らないので会社関係の人や友人には声をかけられません。お葬式には近所の人と親類しか呼べずこじんまりと済ませました。

さらに、私は若い時、家が近いというだけの理由で、私の会社の役員のお父さんで結構な名士だったらしい人が亡くなって葬儀の一部を手伝わされたことがあります。結構な数の弔問者が来ました。香典を開けて数えるという仕事をさせられました。立場に関係なく、額はバラバラ、中には結構な立場の人なのに1000円の人もいて驚いたものですが、直接関係もないのに知り合いのお父さんというだけで来させられた(私と同様に)人なのでしょう。葬儀の規模は非常に大きかったものの、名士になっても死ぬときはこんなものか、と思ったものです。そう思うと、その日は手伝ったもののなんか時間を取られた気がして腹が立ち、翌日は行くのは拒否して、手伝った日も休日出勤扱いとして申請しました。上司は驚いていましたが、知るか、という気持ちでした。

この経験から、結局人間、年を取って引退してから死ぬときは家族に囲まれるだけ。見送るのは喪主からでも連絡できる親族・友人と、家族だけなんだな、と思っています。今はスマホにしか連絡先がなく、スマホのパスワードを家族は知らないので開けない。家族が大して知りもしない私の友人にまで声をかけることはないでしょう。

なら自分より、会社より、子どもに時間を使った方がいいんじゃないかな。

多分これらが私が育児の優先度を高くしている理由です。

もうすぐ50歳、平均的な健康寿命は81.47歳。
折り返し点をとっくに過ぎて死に近づいていることもあり、なんだかこういうことも考えるようになりました。まだまだと思う反面、必ず訪れる死を考えて生きていくことが増えているように思います。

しん
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